石見銀山生活文化研究所-漢字が並ぶ文字を辿った移住
「この町の山を活かしてほしい」という創業者の言葉から100の植物の色を紡ぎ、森を食に変えるまで
この大森町には獅子神が住んでいる。
これは冗談ではない。
彼の手と感性が触れた後には
あらゆる生命が息を吹き返すのだ。
今回は誰もがその感性と
技術に惚れ込むものづくりの天才
大森町移住14年目の鈴木さんにお話を伺った。

幼少期の原体験
鈴木さんは、福島県南会津町の豊かな自然の中で育った。
ブナやミズナラなどの広葉樹の多い環境の中、
森林に関わる仕事をしてきた父。
裁縫や編み物などの手仕事が得意な母
「母と父を足してちょうど2で割ったのが今の僕なんです」
彼はそう語る。
学校から帰れば家族で山に入り
家では自作のぬいぐるみを作る。
自然の中で手を動かすことが、彼の日常だった。
植物図鑑が大好きで読んだページは
写真のように頭の中に記憶されていた。
森で植物を見つけても
『あ、この植物は図鑑の、
キ行にあったやつだ!名前はキハダだ!』
と、脳内のページをめくって思い出せる。
それほどまでの『植物図鑑少年』だった。
漢字が並ぶ文字を辿った
高校卒業後は秋田の美術大学へ進学。
イラストレーターやフォトショップ、
カメラの扱い方や商品の見せ方など
プロダクトデザインの基礎を学ぶ傍ら
身の回りにある植物を煮出して染料にしたり、
自生する草から繊維をとり
糸にして布を織った。
学校卒業後は
さらに布について学ぶために
東京の文化服装学院へ進学。
その頃にはライフワークの
手仕事的なものづくりだけでなく
産業的な工程も学ぶべく、
自らアポイントを取っては
麻や綿、ウールの産地や
工場をめぐる日々であった。
そんな折
八王子の機屋”みやしん”での研修中に
布に書いてある宛名が目に留まった。
”群言堂石見銀山生活文化研究所”
アパレルブランドは英語表記も多い中
全て漢字の”銀山”に”研究所”
という名前。
そしてそこから届くオーダーも
ひときわ質の高いものだった
これこそが大森町との初めての出会いであった。
その後調べてみると
家の近くに群言堂が経営している
飲食店があることもわかり
どうやらこの会社は
ただのアパレルメーカーではない
ということも分かった
鈴木さんはこの会社が気になり
全く募集も出ていない状態だったが
”求人募集はやっていますか?”
と早速本社に電話を掛けた。
話を進めてゆくと
東京にいる群言堂のデザイナーさんを
まずは訪問してみなさいと
約束を取り付けることができた。
場所は西荻窪の店舗で行うことに。
鈴木さんは植物の繊維と柿渋で
防水性を持たせたレインコートや
手織りの服など
こてこてに作りこんだ作品を
たくさん持って行った。
面接ではひたすら作品について語った。
おそらくデザイナーも
”変な奴が来たな”
と思ったのではないかと当時を振り返る。
話は結果良い方向に進んだ。
作品について語る熱量に
デザイナーはこう言ってくれたという
”イメージを持っている若者はいるが、ここまで作りこんでアウトプットできる
人は本当に一握り。一度大吉さん登美さん会ってみましょう”
ついに創業者に会えることになった。
島根での面接ではいきなり10人ほどの
経営陣にコの時に囲まれた。
そこには大吉さん・登美さん・現代表の忠さんなどもいた。
慣れない面接に緊張したが、
ここでも以前と同じように
持ってきた作品をたくさん見てもらった。
”この町にも手つかずの山の資源がたくさんある。あなたにはこの資源を使ったものづくりをやってほしい”
大吉さんからテーマを与えられた。
無事に入社が決定し、ここから挑戦が始まった。
100種類以上の植物と対話し、生まれた色
与えられたミッションは、
「植物を活かした産業的なものづくり」。
入社後すぐに山へ入り、
植物の採取と染料の抽出実験の日々を送った。
単なる作家的な草木染めではなく、
百貨店などにも並べられる『商品』
として流通させることにこだわった。
最初の半年で20~30種類。
現在までで数えると少なくとも
100種類以上の抽出実験を行った。
この世のものには色素を持っていないものは
ほとんどなく植物も例外ではない。
葉緑素、タンニン、アントシアニンなど、
どの植物をどう抽出すればどんな色が出るか、
鈴木さんにはなんとなくわかる。
ただ予想外の発見もあった。
普通なら茶色っぽい色の出る
梅の木の枝がアルカリ性に傾けて煮出すと、
鮮やかなオレンジ色を帯びた茶色が出てきたり
シダ植物の根からも美しい色が出た。
実験を繰り返す中で
この里山ならではの染料を取ることができた。
こうして大森町の植物を使った
“里山パレット”が生まれた
抽出実験から実際に全国の店頭に並ぶまで
なんと半年で成し遂げたのだ
その後里山パレットは
10年以上多くの人に愛され
現在では群言堂を代表する
看板商品となっている
そして全国30店舗以上ある
里山パレットの染料全てを
今でも鈴木さんが軽トラで
森の木々を採取しに行っているのである。

小さな森のような畑の誕生
群言堂のデザイナーとして活躍する一方で、
鈴木さんはよく大森町へ訪れる来客を
里山からとれるイノシシや山菜、
畑からとれる野菜などの
食材を使ってもてなしていた。
ちょうどその頃大森町でも
空いている畑も目立つようになっていたが
畑を借りるためには
就農をする必要があったのだ。
鈴木さんは里山パレットの仕事を
一部続けながら就農することを決意。
ここから2足の草鞋の暮らしがスタートする。
鈴木さんの農法は
他のどこでも見たことが無い
オリジナルの農法だ。
筆者も農業関連の仕事で
たくさんの畑を見てきたつもりだったが、
初めて鈴木さんの畑を見たときに
既成概念が大きく覆された。
鈴木さんは畑を始める際
植物生態学者の方が提唱する
『潜在自然植生』
を思い出した。
潜在自然植生とは
森が人為的作用を停止したときに考えられる
その時点でその土地が支え得る
最も発達した植生のことを指す
鈴木さんは畑も自然植生の森と
同じようにできないだろうかと着想した。
そうなると種の蒔き方も変わってくる。
一度に約60種類ほどの種と土と
もみ殻を混ぜて畑にまき混生密植させるのだ。
最初の3年間は水はけが良くなく
土壌の改良に時間を費やしたが、
現在では野菜もあるがままに
育ってくれるようになった。
ニンジンのすぐ横にキャベツやレタスが育ち
その上にはルッコラが伸びてくる。
その土地にあった作物が自由に育った
こうして”小さな森のような畑”が生まれた
この畑からとれた野菜は町の宿やカフェで提供され
保育園や小学校の食育の場としても活用されている

他郷阿部家での食の提供が始まる
大森町には築230年の武家屋敷を
松場登美さんが10年をかけて
実際に住みながら改修した1日2組限定の
他郷阿部家という素敵なお宿がある。
お宿にある家具やインテリアや小物全てから
”ここにいられて幸せ”
という声が聞こえそうなほど
何とも温かく
家の息遣いが聞こえてきそうな空気感がある
現に筆者も宿泊した際に
この懐かしく感じる空間に涙が出た
世界でもここにしかない唯一無二の空間なのだ
この宿では全く見ず知らずの
同じタイミングで宿泊をした宿泊者が
一つのテーブルを囲み食事を共にする。
そんなお宿で鈴木さんは現在朝食も担当している。
彼の草鞋は3足になっていた。
食材を育てることもそうだが
料理をすることも得意なのだ。
朝の食卓は鈴木さんのライフワークが
そのまま机に並ぶ
自分の畑でとれた野菜や米
飼育している鶏から生まれた卵を使った料理
町で養蜂して作った蜂蜜
パンを焼く竹炭まで自分たちで作ってしまう。
もうここまでくると里山の資源達が
鈴木さんに見つけられることを順番待ちしているように思える。
私も一度食事を頂いたがまたこれが格別に美味しい。
採れたての野菜はみずみずしく、卵は口の中ではじけ、
蜂蜜はほんのり甘い
この感想を抱くのはもちろん私だけではない。
通算1万5000人以上の宿泊者が同じテーブルを
囲み食事を共に楽しんでいる。
ホワイトハウスにオーガニック農園を設立した
アリスウォーターさんが来訪された際には
”人生最良の朝食だった”
とのお言葉も頂いているほどだ。
そして鈴木さん自身も今一番楽しい瞬間はこの朝食の時間だという。
元々は接客業で働くということは全く頭になかったが、
阿部家に宿泊するお客様にはこういう暮らしを喜んで下さる方も多く
大森の暮らしのことや
畑のことをお客様とお話しする時間が楽しいという。
大森町に慣れるまで
では町に慣れるまではどうだったのか?
実際に話を聞いてみると
この町に慣れるまでは
全く時間はかからなかったという。
移住というと良く聞く話が
元からいる住民との新規移住者に
軋轢やコミュニケーション不全が起こっている
という話題も良く聞くが
この町では全くそんなことなかった。
逆に町民がコミュニティにどんどんと引き込んでくれる。
印象的なエピソードとして
まだ鈴木さんが移住して1週間と間もないころに
町の大工さんから
”今、港にすごいアジが湧いてるから、釣りに行くぞ!”
と声がかかり一緒に釣りに出かけたことがあった。
この出来事をきっかけに鈴木さんも
”この町は他の地域とは違う”
と感じるようになった
その後は町民と一緒になって海や山に入りながら
色々なことを教わる中で
徐々に町に溶け込んでいったのだった
大森町での子育てについて
鈴木さんは現在奥様と9歳6歳の娘さん二人の4人で暮らしている。
奥様とは秋田の大学時代に出会い進学や就職の機会では
遠距離での交際も続けながらもう18年程の期間を一緒に過ごしている
思春期での恋愛が結婚につながることなど
都市伝説の話かと思っていたが
まさかこんな身近に実話が存在していたとは。
奥様も素敵で
以前群言堂カフェで接客を担当していた際に
全く見ず知らずの私たち一家に子供のおもちゃを用意してくれたりと
筆者家族が町に惹かれたワンシーンを作って頂いた存在でもあった。
お子さんもまた印象的で
鶏の抱き方や山菜の取り方を先生の様に教えてくれる。
また、鈴木さんのものづくりのDNAもしっかり受け継いでいて
家での遊びはものづくりが中心になっている。
そのため、保育園や小学校の作品展示で並ぶ
鈴木家キッズの作品は
プロが作ったかのようにレベルが高い。
私も毎回展示の際にはこっそり鈴木家キッズの展示を
楽しみにしているのであった。
この町での子育てについてはというと
ちょうど鈴木さんのお子さん誕生の時期に
この町でもベビーラッシュが起こった。
近しい年齢の子供も増えた時期で
鈴木さん自身もこの町で子育てをする
イメージを持つことができた。
また大森町での子育ては
職場と家と学校・保育園どこも歩ける規模感にあり
住民のほとんども顔のわかる状態のため
道を歩いていても誰かが見てくれている
という安心感を持ちながら暮らせている。

鈴木さんのこれから
これからの鈴木さんについても聞いてみた、
彼はさらに4足目の草鞋を履こうとしていた。
もうここまで草鞋が増えてくると
筆者も驚かなくなってきた。
と、言うよりも鈴木さんにとっては
ものづくりの時間が無いとなると
なんだか落ち着かないのだ。
鈴木さんには実は大森町の近くに隠れ家がある。
最近合間を縫ってはそこに通い
大工道具をひたすら研いでいる。
鈴木さんは”木工細工”を始めていた。
今度はこの町の照葉樹林文化を
活かしたものづくりをするという
この町の木を旋盤と大工道具を使い
木を削っては椀の試作品を大量に作っていて
特に良いと思う形や厚みに近づけることが難しいらしい。
彼曰くまだ練習中とのことだったが
作品の写真を見るとデザインの受賞作品のような
美しい曲線の椀に仕上がっていた。
未発表の鈴木さんのデザインを覗き
私も胸が高鳴った。
きっとこの木工細工は
これから多くの人に愛されるに違いない。

