縁に惹かれてきてみた話
現在私は遠い昔世界に向けて銀を産出した
世界遺産石見銀山の麓、大森町にいる。
コンビニも信号機もない
人口400人の小さな町。
都会を離れた田舎での移住暮らしについて、
これからここに生きる人々の
移住暮らしについて取材していこうと思う。
まずはライター斉藤の移住暮らしから。
かつてポエマーだったあのころの気持ちに戻って
今の生活を綴ってみようと思う。
~大森町を知ったきっかけ~
ほんの数年前までは広島市の広告会社の営業として毎日忙しく働いていた。
朝早くから深夜まで仕事ばかりで
家庭や子育てのことについては中々時間もさけずに
妻に迷惑を掛ける日々であった。
そんな中テレビでふと見たNHKの番組
”子育て町育て石見銀山物語”をきっかけに大森町を知った。

どうやら過疎化の進んでいた町に
今若い世帯の移住が次々と進んでいる町らしい。
広島からは約2時間程。
近いので今度の週末行ってみることにした。
~人の温かみに触れる~
実際に行ってみると江戸時代の町並みが残っていて景観が美しい。
自分自身もタイムスリップをした気分になり、
時間の流れも普段よりもゆっくりと流れている気がした。

龍源寺間歩、レンタサイクル、群言堂カフェなど
いくつかの施設を回ったが人がみんな温かい。
妻と大森の人はいい人ばかりだと会話したことを覚えている。

そんな中この町とのご縁のきっかけとなる出来事が起こる。
その日は38度を超える猛暑で
民家の軒先に出ていた井戸水で顔を洗っていると、
その民家の奥様らしき人と鉢合わせをしてしまった。
「こんにちは。。。」
少し気まずい気持ちで挨拶のみで済まそうとしたが
その後会話が二言、三言と続く。
私の背中に背負っていた子供の心配までしてくれ、
なんと家からハンカチに包んだ保冷剤まで持ってきてくれたのだった。
見ず知らずの私たちに掛けてくれる無償の優しさに
目まぐるしい日々の中で擦り切れていた心が少し動いた気がした。
~町を追った2年間と家との出会い~
それからというもの2年間に渡り
春夏秋冬と放映される石見銀山物語を
録画をして何度も何度も見た。
大森の暮らしへの憧れは増していった。
そんなある日保冷剤をくれた奥様と
連絡先を交換していた妻の方にダイレクトメールが届いた。
「斉藤さんに一家にぴったりのお家が見つかりましたよ」
相談時には今すぐに住める住居が無く
移住の選択を諦めていたが、
移住について興味があると事前に相談をしていたことを
気にかけて頂いていたようで連絡をくれた。
内見にお伺いした。
住居は地元企業の所有する
古民家の長屋を改築した2階建てのお家。
昔ながらの雨戸
天井の曲がった梁
窓のねじ締まり錠
土で塗られた玄関
何もかもが良かった。
妻と相談して本格的に移住に向けて動き出すことにした。

~移住で考えなくてはいけないこと~
移住するにあたって重要なことが3つある。
一つが住居である。
今回タイミングも良く無事住める住居が決まった。
またそれまでいた広島は転勤で来ていただけで、
夫婦にゆかりが無く両親も近くにいなかったことで
他の土地に引越しをすることに抵抗が無かった。
もしどちらかの地元だったりしたら
また決断も変わっていたかもしれない。
二つ目が仕事だ。
島根県では広島県ほど仕事のバリエーションも少ない。
どうしようか悩んでいたところに大森町の企業の方から私にDMが届いた。
”移住を検討すると聞いたのですがお仕事に心配事はないですか?”
本当にありがたい。
この言葉に甘えさせてもらうことにした。
妻はホテルの電話受付番とホテルビュッフェでの接客経験があった。
経験の活かせるカフェの勤務ができないか相談後
しっかり面接もしてもらい無事に採用された。
私はというとそれまでやっていた仕事も
定年まで働く風土のある組織でもなく
退職する社員を気持ちよく送り出してくれる文化もあった。
元々いつか起業したいという思考もあり、
丁度良いタイミングで元同僚が企業をするという話を聞いたため、
それまでやってきた企業の採用支援の経験を活かし
その会社にジョインをさせてもらうことにした。
全員がリモート勤務で場所は問わないということも移住生活とマッチした。
三つめは子供の保育園。
これに関しては転居先の住居から一番近くにある
古民家を活用した素敵な保育園があり
絶対にこの保育園に入園させたいという願望があった。
町民の子供もみんなこの保育園に通っている。
ただここに関しては
都市部に比べて競争率も低く抽選はあったが
無事に入園が決定し大きく困ることもなかった。
こうして無事に住居・仕事・保育園も決まり
無事に移住ができることになった。

~移住当日~
2024年2月広島から大森町へハイエースを借り荷物を運んだ。
引っ越し作業がある程度落ち着きパン屋に食事に行くと
パン屋の奥様が話しかけてくれてご挨拶をしてくれた。
どうやら私たちが移住してくるという話がすでに通っていたようだ。
また移住のきっかけになった奥様にご挨拶ついでに
発注時期を誤り入居当日に間に合わなかった布団の話をすると
夜玄関に布団を届けてくれた。
感謝と共に寝る移住生活のスタートだった。
~移住してから~
移住してからというもの保育園や妻の会社の方々を中心に、
ここでは書ききれない程たくさんの方から気遣いも頂きながら、
酒を持ち歩いては各家庭にお邪魔し交流も徐々に増えていった。
この町の人は面白い。
イノシシを狩る人、野草でお茶を作る人、人形を作る人、
日本酒に詳しい人、本を集めている人、絵を描く人、スッポンを釣る人、
ホタルを数える人、里山の食材を美味しく料理する人、
無農薬を超えたオリジナルの自然農法で畑をする人、
キャッチボールの相手を探しながら歩く人、山菜を取るのが得意な人、
鳥を見る人、普段着が浴衣の人、蜂蜜を自分で作る人、
薪でお風呂を沸かす人、町の家に野花を定期的に飾る人、
何処までも町を案内してくれる人、古文書を読み漁る人、
私財で町を直す人、乳母車で犬を散歩する人、
敬老を迎えてもまだ起業する人など
知れば知るほど面白い人たちばかりだ。
ニワトリを飼う人、土鍋でご飯を炊く人、家にテレビが無い人、
星を見る人、草を刈りまくる人、歴史が好きな人、柿を軒先に吊るす人
に関してはもう一人二人の話ではない。
一人一人語ると長くなってしまうので
町の人々の話は今後また書き重ねることにする。

一方斉藤家では
猫が家中の障子を破って回り、
下の子が高らかに叫び神楽を乱舞したかと思えば、
クレヨンしんちゃんの影響を受けた上の子が
下半身丸出しで私のズボンをおろし、
妻の怒号が全方位に響く。
騒々しい私の家庭を優しい目で見てくれている
町の方には本当に頭が上がらない。
私はもう少しおしとやかで優しい家庭を目指しているが
今のところ叶いそうにない。
ただこの町へきて家族全員が
感情表現豊かに人間らしく育っているのは確かだ。
保育園も町の人もみんな家庭ごと面倒を見てくれているおかげで、
私たちも肩肘張らない生活ができている。本当にありがたい。


~あとがき~
移住をして約2年の間に
様々な方に出会いお世話になった。
この町の人は本当に温かい。
下は2歳から上は80代まで。
年齢関係なしに知人でもなく
ただのご近所というわけでもなく
心の通ったお付き合いのできる友人の様な関係性を
今もこれからも大切にしてゆきたいと思っている。
大森町はかつて銀の採掘で栄え、
全国から集まってきた鉱夫やお代官、商家や武士などが
共助で築いてきた文化があり現在もそれを受け継いでいるようにも思う。
近代化が進む日本で忘れられつつある、
”手触りのある生活”と”共助のあふれる町”
そんなところに。
今まで”合理”で選択してきた私が
ふとした”ご縁”に惹かれて
人生選択をしてきてみた話。
おまけ:抹茶屋さんのたてる抹茶とパン屋さんのパウンドケーキで休憩

